Dリーグについて
  あいさつ
活動拠点
チーム紹介
  セガ
ネオクラゲ
オールディーズ
キングサンズ
ブッダ
ファイブファールズ
令和元年度秋季大会
  大会展望
大会直前情報
大会日程
大会結果
個人成績
試合速報
MVP
過去の大会記録
  令和元年度春季大会
平成30年度秋季大会
平成30年度春季大会
平成29年度秋季大会
平成29年度春季大会
平成28年度秋季大会
平成28年度春季大会
>>過去の大会記録
D-Legend
  令和2年度 秋の陣
令和2年度 夏の陣
令和元年度 秋の陣
令和元年度 春の陣
平成31年度 冬の陣
平成30年度 春の陣
>>過去の大会記録
秘密アイテムNew
  SS石川のDリーグスカウター
※PCからの閲覧推奨です
コラム
  23'渋谷区女子シニア35秋
3th フレンドリーシップ50 #2
3th フレンドリーシップ50 #1
23'大田区シニア40春 #2
23'大田区シニア40春 #1
23'渋谷区女子35春 #1
>>過去のCOLUMN
酒場探訪日記
  大衆酒場 鶴亀
焼鶏 鳳
大衆酒場 大鵬
天ぷら 三惚
炭火焼鳥 とりいち
大衆酒場 初音
>>過去の探訪日記
D LIFE
  対談スペシャル
ラムジー武田氏
high flyer氏
スペシャルK氏
ナイトトレイン氏
>>過去のD LIFE
その他
  ダウンロード
問い合わせ
リンク集


Playback 1980

残り数秒で天国から地獄に突き落とされたあの受け入れ難い敗戦から数カ月が経過、僕達は敗戦翌日から始まった過酷な練習 −延々と続く馬事公苑でのランニング、1時間近く経過しても終わる気配のないスリーメン・・・さらに厳しさを増した練習を積んで関東大会予選に出場、順当に勝ち進むと日体荏原高校を下しベスト8に進出、Aブロック(東京ならベスト4に進出したチームが出場出来る)での出場を目指し昨年選抜大会予選で勝利した明治大学付属中野高校と再び激突した。当時京北高校と並んで「高校バスケットボールの名門中の名門」だった彼らにとって“ダークホース”にすら上がっていなかった僕達の高校に足元を掬われたことは「屈辱」「油断」の言葉では済まされるはずがなくいつもは「根性」や「がむしゃら」とは無縁な「スマート」そして「クール」なプレイスタイルの −「超高校級」との評価を受けていた190センチを超えるセンタープレーヤーが二人を筆頭に所謂「エリート集団」と呼ばれていた − 彼らがまさに「死に物狂い」の形相で僕らに襲いかかってきた・・・

もともと「10回戦って1回勝てるかどうか」の格上チームの猛攻にあって僕達は試合開始から大きくリードされてしまうが「これが一度ベスト4」に登りつめた経験や真剣勝負を重ねる事で身に付けた自信なのか暫くすると落ち着きを取り戻し“タイトなプレッシャーディフェンスと速攻”− 僕達のチームが持つ唯一と言えるアドバンテージ −でボールを奪い取り速攻を繰り出しペースを掴むといつの間にか僅差を争う試合展開になっていたが結局僕達は彼らの「高さ」や「巧さ」、「プライドをかなぐり捨ててこの試合に挑んできた“彼らの強い気持ち”そして昨年の対戦で屈辱の敗戦を味合わされた −僕達の顧問の先生の大学の大先輩の当たる明治大学付属中野高校の監督の意地とプライド −の前に屈し敗戦、目標であるAブロックからの出場はならなかったもののその後行われた5位―8位の順位決定リーグ戦で3戦全勝し東京都5位のポジションを獲得、Bブロックながら関東大会に出場することになった。

6月2日、山梨県甲府市で開催された関東大会に挑んだ僕達は初戦、2回戦と苦しみながらも対戦相手を撃破、翌日に行われる準決勝進出を決めていたが同じ宿舎に泊っていた早稲田実業をはじめとするBブロックから出場していた東京代表の他の3チームは2回戦までに敗退してしまい夕食時に顧問の先生から「明日は東京の代表として恥ずかしい試合は出来ない 準決勝で対戦する法政二高は難敵だが“自分達のバスケットボール”をすれば勝てない相手じゃない・・・」との話しを聞かされたことはおぼろげながら覚えている・・・

迎えた6月3日の日曜日、僕達は当時、相模工大付属高校と並ぶ神奈川県の強豪、Bブロックの優勝候補に挙げられていた法政二高と対戦した。「Aブロックから出場しても何ら不思議ではない、むしろ何故彼らがBブロックから出場しているのか疑問だった」強豪相手に僕達は昨秋明治大学付属中野高校に大番狂わせ −今でいうUPSET ―を演じたゲームの再現のように開始から彼らを圧倒、最後は僕達リザーブメンバーも出場出来る程の大差を付けて快勝、決勝進出を果たすと勢い、自信、知らず知らずに身に付けていた東京都代表のプライドと責任、そして2日で4試合を消化する過酷なトーナメントを勝ち抜いていく過程で試合を重ねる度に逞しさを増した僕達は前半で15点差を付けられる厳しい状況下から後半の猛攻で一気に逆転勝ち、Bブロックでの優勝とは言えバスケットボール部の歴史に初のタイトルを齎した・・・

不思議な事に −あの表彰式での晴れがましい気持ちや大会終了後、専門誌「月刊バスケットボール」の記者の方が掲載する為に撮ってくれたチーム写真や学校に戻ってからの優勝報告会や祝福してくれた高校の友人、通学途中の電車の中で「明君おめでとう」と声を掛けてくれた中学校のクラスメイト、そして毎日遅くまで続く厳しい練習に明け暮れていた僕を優しく見守ってくれていた両親 −今は亡き父は翌日にほんの小さく結果だけ載っていた新聞の記事を切り抜いていつまでも大事に取っていてくれていた − たくさんの嬉しい思い出よりも「何故あの時もっと練習に打ち込まなかったのか」「もっとチームに自分が出来ることがあったんじゃないか」「もっと努力すべきだった・・・」と悔いる気持ちのほうが53歳になった今でも消え去ることなく心の中に残っている・・・もしかすると18歳で味わった“後悔”が未だにバスケットボールを続けさせてくれている大きな糧になっているのかもしれない・・・


画像をはじめ、当ホームページのデータを承諾無く、コピー・加工することを禁止します。本サイトおよびリンク先ページの内容に関する責任ならびに著作権は、それぞれのページの作成、管理者に帰属します。雑誌・新聞等にデータを転載される場合は必ずご相談下さい。

運営・取材協力 中村, 光嶋