”リーガエスパニョーラを代表する,そして世界中で最も有名なサッカークラブの一つであるFCバルセロナ ”現在世界中に14万人のソシオと呼ばれる会員を持つこのビッグクラブは今から遡ること115年前の1899年にスイス人実業家、ハンス・ガーバー他たった11名からなるメンバーにより創立された・・・”どんな小さな集まりであろうとも、また如何なる貧弱な組織であろうとも魂と情熱を持ち続けそれを存続、伝承していく事によって歴史として刻まれ、いつしかそれはチームの伝統や礎を呼ばれるまでに昇華を遂げていく”
創設12年目に突入した2014年は歴史を綴った年表がホームページに掲載、また「50歳プラス1ルール」が新たに導入されるなどリーグにとってメモリアルな1年になろうとしています。 今回はリーグ創設に深く係わった3人のレジェンド達のリーグ誕生秘話に続いて「これまでの、そしてこれからのDリーグ」と題してこれからリーグを背負っていくであろう5人の若者達とのインタビューを、そして最後はAKが現リーグ代表を務めるBS三野宮にリーグの未来について訪ねた模様を一つにまとめたものを掲載します。
− 3人のレジェンドが今解き明かすDリーグ誕生秘話 −
2001年秋、東京は大田区に位置する京急大鳥居駅近辺で、、、正確に言えば東糀谷3丁目付近で3人の男たちが偶然出会い、そしてDリーグは誕生した・・・運命の悪戯、”終わり”こそが”始まり”の道標・・・ 今回はAK,SE光嶋、プリンス釣崎のリーグ創設に重要な役割を果たし今尚現役としてプレーを続ける3人のレジェンド達の対談の模様をお届けします。
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AK |
こうして3人で会うのは本当に久しぶりだね
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釣崎 |
ええ、そうでねえ いつですか 中島の寿司屋以来かも・・・
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光嶋 |
そこまで古くはないかもしれないけど3人でとなると・・・それくらいまで遡らないとかもしれませんね
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AK |
今回は独自リーグ誕生のいきさつについて思い出話を交えながら話をしていきたいと思う。 当時僕とみつ(光嶋)は母体である糀谷会に若手メンバーが増えてきたので糀谷会の主に30歳以上で構成するチーム、ヤマクラゲに参加、大田区、品川区、渋谷区といろいろな区民大会に参加していたんだ。
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光嶋 |
そうですね。 当時は60チームを超える規模で開催されていた大田区選手権でもベスト4、品川区でも1部にすぐ昇格したり・・・結構いい成績を残していたんですが・・・チームを結成して3、4年経ったこと頃ですか、台頭してくる十代、あるいは二十代前半の若者チームに試合開始から圧倒されて惨敗することが多くなり・・・
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AK |
そうだ、そこで2001年の秋だったか・・・当時のメンバーと話し合い、今度の大会で負けた時点で各大会の活動を停止、チームは解散すること決めたんだ・・・
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光嶋 |
そうですね、大田区、品川区と負けて…最後は渋谷区ですか、最後だから気合が入っていたのか2回ほど勝ち抜き3回戦に進みましたが負けてしまって・・・少し寂しい気持ちになったことを覚えています。・・・もうこのメンバーで試合することが、バスケすることがないのかなと思って・・・品川駅の港南口の居酒屋で・・・店の名前は忘れてしまいましたがそこでチームは解散、本来ならばバスケもそこで引退するはずだったんですよね・・・
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AK |
ところが僕らは練習は継続、バスケを続けていたら・・・新リーグを立ち上げようという構想が・・・ただオープンではなく、これまでバスケを通じて知り合った仲間達、ナムコや36ers、そしてフォールバックスもそうだ・・・同世代というか30歳以上のリーグを自分達で立ち上げようという話になって・・・そんな時、まさに偶然というか・・・当時酒屋だったうちの店につるちゃんが注文にきたんだよな・・・
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釣崎 |
そうですね。当時僕はセガに入社して2,3年経った頃で・・・お盆休みの前の打ち上用げのビールやお酒を中村さんのお店に注文しにいって・・・そこで知り合って…何故かバスケの話しになってしまったんですよね(笑)・・・
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AK |
そうだ、そこで糀谷会の練習に来るようになったんだよな・・・
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釣崎 |
そうです、僕は初めて参加した時、バスケするなんて思ってなかったので道具も何も持ってなかったんですがシャツからバスパン、バッシュも中村さんが用意してくれて・・・それから中村さんが僕らのセガの練習にも来てくれたり、その辺りから交流が始まって光嶋さんとも練習で会うようになりました。
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光嶋 |
そう、そこで大鳥居の・・・多分当時良く行っていた「居酒屋どんぐり」で3人で飲んでいる時に新リーグの構想を・・・まさに「終わりこそが始まりの道標」になってしまったんですね・・・
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釣崎 |
そうそう、そこでただバスケをするだけではつまらない・・・30代以上の仲間がバスケを楽しめるリーグにしようということでいろいろ話し合い基本理念やリーグ戦での試合形式、個人スタッツの記録と表彰、アンダー枠、それと記事など書き記しホームページで載せて情報発信していきましょうという事になったんですよね。
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AK |
そう、各チーム30歳以上という年齢制限という部分で多少無理なところが・・・実際、当時つるちゃんは25歳か26歳くらいだった思うがアンダー枠を設けて対応したり、所謂「細かいところには目をつぶって」大会をとにかく開催、成功させようという大義を全うしたんだ・・・あれから12年だよ・・・当時は41歳だったけどもう53歳に・・・でもこの歳でも曲がりなりにもバスケを続けてこれたのはリーグを通じて知り合えた仲間達のお陰だよ。多分Dリーグがなければ自分の現役生活はとっくの昔に終わっていたんだと思うよ。
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光嶋 |
そうですね。ただ私のように下の後輩達は中村さんが元気にバスケしているとやめたくても自分が先に止める訳にはいかないと・・・(笑)
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AK |
そう言われると自分もやめられなくなるよ(笑)
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釣崎 |
何言ってるんですか、二人とも、中村さんと同じ学年のうちのチームの浅井さんだって頑張っているし、まだまだ頑張って下さいよ。
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AK |
でも・・・膝が痛いからなあ・・・曲がらないし・・・
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釣崎 |
またテコセンターに治療にくればいいんですよ(笑) スタッフがちゃんと治療してくれるからまだまだバスケ出来ますよ
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光嶋 |
上手くまとめたなあ(笑) わかった、頑張るよ。でもつるちゃんこそ最近試合出てないが、まだ38歳か・・あれだけ個人タイトルを総なめにしてきたんだ。もうひと花咲かせろよ。
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釣崎 |
仕事が忙しくて・・・なかなか参加できませんけど出たらまだまだやれますよ。たけちゃんが俺のことを「もう、終わった・・・過去の人」だなんて言っているみたいですけど対戦したら逆に必ずたけちゃんをゲームオーバーにしてみせますよ、フフフ
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AK |
その自信過剰発言こそ、つるちゃんの真骨頂。ただ返り討ちにあってずっこけるなよ(笑) 最後になったけどリーグを立ち上げた我々が第一世代とすると現代表のさんちゃんと始めとする第二世代に期待することはなんだろう?
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光嶋 |
伝統というか、リーグに良さはそのまま引き継いで貰って僕らの世代よりさらに立派なリーグにしていって欲しいですね。
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釣崎 |
僕も同意見です。このリーグはローカルバスケットリーグでは群を抜くインテリジェンスと情報発信、ハイテクなホームページを持ち合わせています。あとみつさんがやってくれているエンターテイメント重視のネオクラゲのホームページも個性が異なっていて面白いし・・・規模やレベルはとにかく、NBLやBJリーグよりも優れているところはたくさんあると思いますよ。 次世代のメンバーにも僕らに負けないよう、頑張っいって欲しいですね。
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AK |
二人とも今日はどうも有難う。 さあ、「リーグの輝かしい未来を祝って」もう一度乾杯しよう!
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時を重ね俯瞰的なものの見方が備わってくると先頭を走り抜ける、中心にいることよりも一つ梯子の階段を下がって、あるいは少し遠くから静かに眺めることが己の役割だと気付くことが・・・いつかは後ろから見守る時が、そしてそれを自覚する時が必ずやってくる・・・
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− これまでの、そしてこれからのDリーグ −
1972年に公開された映画「ゴッドファーザー」の中で主人公のボス、ドン”ビトー”コルレオーネは「父の仕事は手伝わない」と空軍に志願、堅気の道を歩んでいたものの敵対する組織に襲われ無残な死を遂げた兄や命を落としかけた父・・・数奇な運命とその資質によって再び「ファミリー」に引き寄せられた三男マイケルコルレオーネにファミリーの絆の大切さ、守り抜いていく覚悟を教え”ドン”の座を譲りファミリーの命運を委ねていく・・・今回は「これまでの、そしてこれからのDリーグ」をテーマに、現リーグの代表を務めるBS三野宮君と共にリーグの未来を担っていくであろう5人の若者達とのインタビューの模様をお届けします。
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AK |
今日は平日の水曜日、しかも練習後の疲れているところに快くインタビューに応じてくれて有難う。 君達のとって「これまでの、そしてこれからのDリーグ」について率直な意見を聞かせて貰いたい。じゃあ、まずバターからいこうか。
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バター梅津 |
自分は今から6年前、2008年ですか、当時チームのキャプテンだった杉岡さんや同じ会社の先輩の鎗田さんから誘われてブッダに入れて貰いDリーグに参加させて貰いようになりました・・・当時自分自身半端な気持ちでバスケに取り組んでいたというか、正直、勝ち負けにこだわったりそんなに入れ込んではいなかったですけど、リーグに参加するようになって意識が変わりました。 もともと自分はオフェンススキルに自信がなかったんですけどDリーグは勝ち負けや得点だけじゃなくて他の個人成績もしっかり記録してくれる・・・だから初めてリバウンド王のタイトルを獲得した時、バスケを始めてやっと認められたというか、とても嬉しかったし、このリーグがきっかけで自分自身も「もっとうまくなりたい、もっと成長していきたい」と思えるようになりましたし、40歳はおろか50歳・・・自分より遥か年上の人がまだまだ頑張っているんだからもっと頑張らないといけないと思いました。あと、ちょっと大袈裟かもしれないですけど「自分らしく生きる」事の大切さを教えて貰ったというか・・・だから本当にDリーグには感謝していますし、これからもリーグの運営などで自分の出来ることは精一杯やっていきたいと思っています。
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AK |
梅津にとってDリーグは「第2のバスケ人生のきっかけ」になったみたいだね。
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バター梅津 |
確かに自分はDリーグに参加していなかったら・・・多分バスケを続けてなかったかもしれません・・・あとこの場を借りて中村さんや浅井さんなど50歳以上の先輩達に謝りたいんですよ。
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AK |
おや、どうしたのかな、、、
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バター梅津 |
2年前、この50歳プラス1ルールが会議で議題に上がった時、先輩達が肉体的な衰えや年齢を重ねて増していく中で社会的責任感や圧し掛かってくる仕事での重責など・・・・いろんな事が降りかかる中で頑張っているのに・・・そんなことも考えずにこのルールの導入に対して猛反対してしまって・・・本当にすいません。当時はそこまで考えられなかったし、中村さんと浅井さんは50歳過ぎたのに3Pの個人タイトルを取っているのに何故そんなルールが必要なのかと・・・ でも自分も歳を重ねてきてようやくわかってきましたし、今思い出すと若かったとは言え本当に恥ずかしい・・・穴に入りたい気分です。許して下さい。
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AK |
有難う。 もう終わったことだし気にしなくていいよ。確かに50歳過ぎた人間が立て続けにタイトルをとった直後に「プラス1」にしろは納得しずらいのかもしれないね(笑)、梅津と言えばバディを組むしんはどうかな?
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CBしん |
はい、法皇様、(笑)私はもう3年前になりますがオールディーズに加わる前に「30歳以上のリーグ」と聞いて正直、大したことはないと思っていたのですが・・・入ったらとんでもない、自分より遥かに上手い選手もいるしそして年齢も40歳はおろか50歳を超えてる先輩方もたくさんいらっしゃって・・・衝撃を受けました。 また春と秋に同じチームと戦うリーグ戦形式なので区民大会とは違う楽しみがあるし、逆にリーグの代表チーム的な存在の「ミステリーゾーン」でリーグ戦では普段敵味方同士のメンバーの皆さんと区民大会では一緒にプレイ出来るのも楽しいですね。 自分としては法皇様や諸先輩の皆さん築き上げてくれた伝統はそのままに、今回導入された50歳プラス1ルールみたいに折々改革するところがあれば付け加えていく感じがいいかと思います。
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AK |
有難う 、しんは外見に似合わず意外と保守的なんだね(笑)
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CBしん |
はい、私はこの2年間でいろいろ事を学ばせて頂きましたので(笑)
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AK |
なるほど、ではここで女性の意見を・・・のんちゃんはどうかな?
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のん |
私は最初・・・マネージャーというかチームをサポートする形でこのリーグに参加させて貰うようになったんですけど・・・もう何年前かは忘れちゃった(笑) そのあと暫くして選手登録をして貰って試合に出るようになって・・・勿論プレイするのも楽しいけれどたくさんのお友達が出来たし、他の大会とはDリーグは違う・・私のとってかけがえのない大切な大会です。 リーグを立ち上げてくれた中村さんや光嶋さん達には本当に感謝してますし、これからも梅ちゃんと同じように体育館の予約や打ち上げ会場の設定・・・自分に出来ることはやっていきたいと思っているしこれからもこのリーグでたくさんのお友達と楽しくバスケが出来ればなと思っています!あと、私は本が大好きでよく読むんですけど・・・大会毎の展望や分析やダイジェスト・・・本当に凄い!毎回楽しみにしています。
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AK |
のんちゃん、川崎マリエンの体育館の予約やリーグに対しての数々のサポート、いつも有難う。 では次はマイティマウス、行こうか?
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MM愛宕 |
自分は2010年のワンデートーナメントからリーグに参加させて貰えるようになって・・・a.k.aと言うんですか?選手に仇名が付いていたり、のんも言っていたけど
大会毎のテキストが・・・いつも楽しく読ませて貰っていますし試合への参考、そして自分自身への反省と戒めにもなっていて・・・まさにDリーガーのバイブルですよ(笑)Dリーグは30代が中心のリーグ・・・僕らが引っ張っていかなければいけない世代だということは自覚しているので現代表のさん(BS三野宮)をみんなでサポートしてよりよいリーグに、そしてこの先何年も続いていくように、先輩達が進む道を示してくれたように自分達も次の世代が楽しめるように頑張っていきたいと思っています。
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AK |
有難う。このリーグに参加して何か思い出深いことはあるかな?
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MM愛宕 |
個人的にはチームに参加してまだ優勝していないので・・・特に去年の秋は悔しい思いをしたので今年は絶対に優勝したい!と思っています。あとは30歳を超えて覆面被らされたり手押し車で競争するとは夢にも思っていませんでしたが今では楽しい思い出ですよ(笑)最近時間の関係で出来ませんがそのうちにまたエキシビジョンゲームやスキルチャレンジなどもやれるといいですね!
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のん |
エキシビジョンゲーム賛成! シニア選抜対女子、またやりたいです!
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バター梅津 |
自分もエキシビジョンゲームやりたいですが・・・30代ガチンコマッチで負けチームの体育館を往復する手押し車は勘弁して下さいよ(笑)
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AK |
今は体育館の使用時間の関係でエキシビジョンゲームなどは出来ないけれど環境が変わったらやれたらいいね。 試合の勝ち負けも大切だけど、選手やチームの交流を深めていくのもDリーグを立ち上げた目的の一つだから・・・最後にカズ、ダンディの意見を聞いてみよう。
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カズ |
自分は2年前ですか、36ersさんが退会されるのと入れ替わるようにファイブファールズの一員としてリーグのお仲間に入れて貰って・・・まさに「真剣に楽しく」とはこの事なのかと・・・だから個人的にはこの大会を物凄く楽しみにしていたのに一昨年の秋季大会の直前で足首に大怪我してしまって試合に出場することが出来なくて・・・でもあの時、松葉づえをつきながらでもベンチに入り、チームをサポート出来たこと、メンバーを共に戦えたことは自分自身の心の財産になっていますね。有難うございました。 自分も勿論、30代・・・さっき愛宕が言っていたようにリーグを引っ張っていく、よりよくしていかなければいけない自覚はありますから「大先輩達から学んだいいところはそのままに、取り入れるものがあれば取り入れて」同世代の仲間達と力を合わせてこのリーグをよりよい、そしてみんなが楽しめるものにしていけたらと思います。ただ、だからと言って大先輩達がフェードアウトしていく、元気がなくなるのは寂しいですからまだまだ元気にプレイして欲しいですし、その意味でも今回の「50歳プラス1」ルールの導入はとてもいいことだと思っています。50歳以上の先輩達にとってこのルールの導入はかなりモチベーションが違ってくるんじゃないかと思いますよ。特に中村さんにはまだまだ頑張って貰わないと大会が盛り上がりませんから・・・よろしくお願いします!
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AK |
またそうやって俺を挑発して・・・まあ、激励と捉えて頑張っていくよ(笑)
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カズ |
頼みますよ、これからもたくさんスリー決めて44アタックやってください。勿論ファイブファールズ以外の試合でお願いします!
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AK |
わかった、ファイブファールズ戦にだけ集中して決めるようにするよ(笑)
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AK |
今日は時間がない中、遅くまで付き合ってくれて有難う。まだまだリーグは12歳、小学校6年生だ・・・リーグがこれから立派な学生、そして成人を迎える為には今日集まってくれたみんなの協力が不可欠だ。 代表の三野宮君やチームの代表者とも協力してよりよいリーグにしていって下さい。リーグの創設に係わったメンバーの一人としてみんなにお願いするよ。
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一同 |
はい、これからも頑張っていきますのでよろしくお願いします!
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− リーグの未来を託された使命 −
2011年の秋季大会からリーグ創設から永らく代表をと務めてきたAKからその座を引き継ぎ早や3年目を迎える現リーグ代表、BS三野宮。フォールバックス、オールディーズそしてネオクラゲとチームを変遷、その過去から現在、そして第二世代のリーダーとしての描くリーグの将来のビジョンとは・・・
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AK |
さんちゃん、久しぶり。膝はよくなったかな?ところで君がリーグでプレイしはじめたのは何歳の時だったかな?
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BS三野宮 |
お久しぶりです。膝を故障していたとは全然練習に顔も出せなくてすいません。 自分がプレイさせて貰ったのは・・・まだ20歳なるかならないか・・・当時参戦していたフォールバックスさんが人数不足ということで相馬さんやイガ、佐々木と一緒に助っ人という形で出させて貰ったのが初めてですね。まああの頃は”はすっからし”というか突っ張っていたというか・・・先輩の人達とのコミュニケーションも今ほどスムースに取る事が出来なかったし、チーム内でも相馬さんといろいろ意見が衝突したり・・・今となっては若い年齢でリーグでプレイさせて貰っていい経験をさせて貰ったと思っています。 有難うございました。
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AK |
そこで暫く経験を積んで・・・本来所属していたオールディーズがリーグに参戦する2005年の春からはオールディーズから出場するようになって・・・でも2007年、チームが初優勝した直後、君はチームを離脱してしまったんだね・・・
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BS三野宮 |
そうですね。あの頃プレイするのは楽しかったんですよ。でも何か違うなと・・・別にケンカ別れしたとかそういう訳じゃないんですけど一度チームを離れて自分を見つめ直そうと思って・・・まあ若かったとうか・・・まだまだ青かったんですよ(笑)
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AK |
その後、暫くはどこのチームにも所属せず、またいろいろなチームから誘いがあったと思うがDリーグではプレイをしなかった・・・
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BS三野宮 |
はい、それは自分の中で自分に対して、リーグに対しても”ケジメを着ける”というか”筋を通す”というか・・・30歳を過ぎるまではどこのチームであろうともDリーグには出場しないと心に決めていたんです。
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AK |
そこでネオクラゲに入団、満を持してリーグに復帰したんだね
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BS三野宮 |
はい、初めて糀谷会の練習に参加したのは中学生、その後オールディーズに入ってからも土曜日のネオクラゲの練習に参加させて貰って光嶋さんや並木さん、
けんじさん、幸田さん、石さん・・・懐かしい・・・元気かなあ・・・ それに富さんに陳さん・・・先輩の皆さんによくして貰って・・・でも中村さんには本当に・・・いろいろ
お世話になりました・・・でも光嶋さんにはホームページでいじられましたね(笑) 幽霊にされたりさんひげとか・・・今はたけちゃんが断トツですけどあの頃は多分
エージさん(キングサンズ)と僕が一番いじられたんじゃないですかね(笑)
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AK |
あの頃は楽しかった・・・いい思い出だよ。そろそろ話しを変えて本題に入ろう。僕は永らくリーグの代表を務めていたんだけど丁度その頃、「いつまでも自分が長くやってはいけない、若い人に引き継がないと・・・」と思うようになったんだ。 政治家や会社・・・様々な組織でも同じ人間がいつまでもトップに居座ることはロクな事がないから・・・そこで各チームのリーダー達に交代を打診してみたんだけど色よい返事が返ってこなくて・・・そんな時にさんちゃんに打診したところ「やります」と自分と同じようにネオクラゲのキャプテンとリーグの代表になることを二つ返事で引き受けてくれた・・・これは容易な決断ではなかったと思うんだけど・・・当時はどういう心境だったのかな?
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BS三野宮 |
あの時、中村さんからチームのキャプテン、そしてリーグの代表を打診された時に、正直多少不安はありましたけど自分も30歳を超えた社会人・・・これからの人生にもプラスになると思ったし、特に根拠があったわけではないですが気付いたら「やります」「自信があります」と答えていましたね(笑)
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AK |
実際にキャプテンになって、そしてリーグの代表となって見てどうだったかな?
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BS三野宮 |
はい、ネオクラゲに関しては・・・チームはシニア世代のベテランメンバーと僕達若手メンバーとの世代ギャップはありますが、逆にベテランの皆さんの経験と俺達若手の勢いやスピードなどそれぞれの個性が混じり合いバランスよく試合に出せればなと。 リーグの代表に関してはチームでもそうですが今までとは責任感が全く違うし、一選手から代表になると全然意識が違いますね。自分は代表を務めながら記事も書いてくれた中村さんとは同じスタンスでは出来ないかもしれませんが自分自身のスタイルを確立していくというか・・・各チームの代表もここでかなり若返って自分と同世代になったので代表者会議などでは遠慮せずに意見交換の場を作っていきたいですね。
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AK |
なるほど、活発な意見交換出来る場を作っていくことはリーグを運営していくに当たってとても重要だし「よく話を聞いてあげて相手の立場を理解してあげる事」そして「調整力」はリーダーとして、そしてリーグを引っ張っていく者として欠けてはいけない大切な要素だと思う。頑張ってくれ。 最後に、「これからDリーグをどのように運営していきたいか、あるいは進化させていきたいか」をみんなに教えてあげてくれないか?
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BS三野宮 |
はい、今年からネオクラゲのキャプテンもアニキに譲りリーグの代表に専念させて貰うことになりましたので今まで以上に代表としての責任を全うしていきたいと思っていますので各チームの代表者やリーグに参加してくれている皆さんとの連携を取りながらリーグの運営をしてきたいと思っています。中村さんや光嶋さん、つる兄さん、そして諸先輩達が立ち上げてくれたこのDリーグを、曲がりなりにもリーグの代表という立場にいる以上、これまで以上に成長させていかなければいけない責務は感じていますしその自信もあります。 これからも「真剣に楽しく」、「ゲームを楽しむ」、「交流の場」、「フェアプレイ&キープスマイル」そして「Dleague as one」・・・リーグの基本理念を忘れることなく、この先10年20年と続く、よりよいリーグに発展、進化させていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。
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了 |
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