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Playback 1979
ーあの試合の事は・・・今でも心の片隅に残っている・・・その年は前年、「強豪中の強豪」京北高校が全国優勝を果たした関係から当時2校の出場枠だった東京からの選抜大会「現在年末に開催されているウィンターカップの前身、当時は3月開催」への出場枠が3校に拡大されて・・・僕達は準決勝進出を懸けて当時京北高校と並ぶ全国大会常連校の明治大学付属中野高校と対戦した。日本体育大学出身の顧問の先生の厳しい指導の下、”よく走り、そして徹底的に鍛えられた”僕らのチームは試合開始からチームの持ち味である「タイトなオールコートプレスと速攻を絡めたアップテンポなバスケットボール」でインターハイ、そして選抜大会でも優勝経験のある強豪校を圧倒、戦前の下馬評を覆し15点差をつけて完勝し東京都ベスト4に進出、選抜大会出場を目指し順位決定リーグ戦に臨んでいた・・・
初戦の関東高校、そして王者、京北高校に連敗するも ー関東高校には5点差、そして京北高校には10点差でー 決して僕らのチームの調子が悪い訳ではなくーそれはむしろ3校の中で”一番組み易し”と思われていた「勝者が選抜大会の出場権」を獲得する安田学園との最終試合に向けていい感じにチームが仕上がっているように僕には感じられたし先生も格上チームに敗れはしたものの自らが指導し築き上げてきたチームスタイルが「当時全国的に見てもレベルが高かった」・東京の格上チームにある程度は通用、そして健闘を見せる僕達に −試合中には珍しく何度も満足そうなうなずきをしてー 口には出さないまでも「全国大会出場」への手応えを感じているように思えた・・
そして程なくして迎えた運命の最終戦・・・正確な日時は忘れてしまったが土曜日に試合が行われていた事ははっきりと覚えている・・・試合は開始からロースコアゲームの展開、ー それはすなわち高校生らしからぬ老獪な試合運びが持ち味の古豪、安田学園のペースで試合が進んでいる事を意味するー それでも僕達は彼らのゾーンプレスを掻い潜り必死に喰らいついて応戦、遂に後半残り30秒、50-49と1点リードを奪った場面で安田学園からボールをスティール、ベンチで戦況を見守っていた僕やチームメイト、見つめる観客、多くのOB・・・
ストーリングして時間を稼ぐ僕らのチームの勝利を疑わなかったがここで安田学園のガードが僕らの一瞬の隙を突いてスティールに成功、「まさに倍返しで」逆に終了間際に逆転のレイアップ・を決められ僕らの選抜大会出場への夢はコートに響き渡る試合終了を告げるホイッスルと共に終わりを告げた・・怒り狂う先生とコーチ、呆れるOB、現実を受け入れられず呆然とし生気を失っているチームメイト、明日から始まるであろう地獄の練習、そし歓喜と絶望が背中合わせに存在する”バスケットボール”というスポーツの恐ろしさ・・・土壇場で全国大会出場の夢が破れた僕は失望感から最寄駅で降りる事が出来ず気がついた時には三浦半島の外れで途方に暮れていたー
あれから既に34年・・・52歳になった今でも −当時より体重は20キロ近く増え最近は白髪も目立つようになってきたー 痛風を患い両膝の痛みを抱えながらも僕は未だにボールを追いかけている。もう早く走る事も出来ないし高く跳ぶ事も出来ない・・・それでもよほどのアクシデントがない限りもうしばらくはコートから去る事はないだろう・・・そしてあの高校3年間のバスケットボール部での日々の厳しい練習、試合、先生そして先輩からの指導、同期との友情・・・様々な体験が − これまでの人生に大きな影響を与えてくれたことの一つであることは間違いないだろう。ー もしかしたらあの3年間は −歓喜、挫折、焦燥、悔い、無力感、運、突然の怪我、自己犠牲、友情の大切さ、一生懸命に取り組む事の尊さ、そして何事も「最後まで絶対諦めない気持ちー 多くの事を学び、そして人生で体験するでろう様々な出来事が凝縮されたまさに「濃密な時間」だったのかもしれない・・・
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